参加者は125人を数えた |
尾高 |
ありがとうございました。いまの牛久保先生のお話の中で、オランダやスウェーデンの社会の例を出されましたが、高田先生、何かご感想やお話に関連してご発言があればお願いします。 |
高田 |
私はずっとアメリカの金融を研究していて、牛久保先生のお話の中で、アメリカはあまりディーセントな労働が実現されていない国だという話もありました。確かにその通りだと思っています。アメリカ自体は重要で面白い国なんですが、研究者の立場からみれば、アメリカだけを見ていると、世界を見る視点が偏ってしまうということがわかってきて、もう少し複眼的に見ないといけない思い、次第にヨーロッパに関心が向いて、ここ7、8年、ドイツとかオーストリアに出かけています。 人間にふさわしい、効率性が維持された社会をめざしたドイツ とりわけ、社会的市場経済といわれるドイツ型の福祉国家の成り立ちやそのもとになった経済学説などについて勉強をしてきました。戦後のドイツは東西ドイツから始まりますが、西ドイツの福祉国家の考え方のもとになったフライブルク学派とよばれる経済学者と法律家の集団があります。この人たちはヒトラーがまだ権力をもっていた時代に命がけでグループを作って、ドイツはいずれ戦争に敗れるから、その後のドイツ社会をどのように再建すべきかをひそかに研究していました。そのグループの何人かは、有名なヒトラー暗殺計画と関わって逮捕され、拷問を受けたり、戦線に送られて戦死したりした人もいました。フライブルク学派のリーダーにヴァルター・オイケンという経済学者がいます。長生きしていればノーベル経済学賞をもらってもおかしくない立派な経済学者だったのですが、彼らのグループが強調したのがやはり人間らしい社会、社会の仕組みということだったのですね。 かれらによれば、社会の仕組みは、二つの要件を満たさなければならない。一つは、「人間にふさわしい」ということですが、それと同時にもう一つ、社会全体としての効率性が維持されなければならない。その社会全体の経済システム、あるいは企業システムの効率性と、その中で働く労働者も含めた個々の人間の、自由で人間らしいくらしをどう調和させていくか。その問題の解決に知的な貢献をするのが経済学者の役割だという立場で、アメリカ的でもないイギリス的でもない、独自の経済学の流れをつくったのがフライブルク学派なのですが、ドイツの福祉国家はそういったところに一つの源泉があります。 同じ福祉国家といっても、ドイツの福祉国家とスウェーデンに代表される北欧の福祉国家は、国の役割にかなり違いがあって、スウェーデンなどの「北欧型」は、基本的には政府がかなり直接的に大量の財政資金を集めて、政府が直接それを管理するという方式です。ドイツは、そうではなくて、いろんなインセンティブを政府が作り出して企業や個々の市民もインセンティブに誘導されながら全体として社会的な調和と効率性を維持できる社会をどうやって作っていくのかという考え方で国家ができていると思います。でも、やっぱりどちらの場合にも人間らしい生活、人間らしい労働条件、そういうものが成り立たない社会の仕組みというのは、健全に成長できないし、サスティナブル(sustainable:持続可能な状態)ではないという、そういう考え方が共通し、根底にあると思うのです。 展望すべき社会のありかたは「福祉国家」 現場の情報や経験がいかされる仕組みを 私は今回の金融危機以来、いろいろな雑誌に論文を書いたり、こういう形で話をさせていただく機会が増えたのですが、その時に、今回の金融の問題は金融の枠の中だけでは解決できないということをいつも強調させていただいております。問題の解決は、先ほどのフライブルク学派の人々が考えたように、どうやって、社会全体の効率性と個人の自由で人間らしいくらしを両立させることができる社会の仕組みをつくっていくのか、という構想を明らかにすることであろうと思います。そういう仕組みを仮に展望できるとして、それをどう呼ぶかというのも難しい問題ですが、私はこれまでの人類の英知から継承すれば、とりあえずそれを「福祉社会」なり「福祉国家」と呼ぶのが一番よいのではないかと思いっています。もっと適切な呼び方が今後出てくるかもしれませんが、ヨーロッパのいくつかの国々ではすでに「福祉国家」という形で何十年の経験があって、それなりに人類史的な評価ができるような貢献をしているわけだから、それを踏まえて我々も金融危機の後にめざされるべき社会のあり方を、「福祉国家」というふうに一応名付けることができるのではないかと考えています。 ただし、日本で「福祉国家」をめざすときに、基本的な構成原理というか政策体系というか、何を優先目標としてそれを実現していくかということは、日本独自の問題としてわれわれ自身が考えるしかありません。いくらスウェーデンやドイツの人に尋ねても解答は与えられない。そしてそれを考えるときに誰が一番知恵を出せるのかといえば、それはたぶん現場で働いている無数の人たちです。実際に家庭を支えて苦労している女性、お母さんとか、あるいは教育の現場で教育行政の矛盾で苦しんでノイローゼになりながら教育に携わっている先生とか、実際に社会の土台にあるいろんな生産やサービスの現場で働いている人です。そういう人々が最も貴重な現場の情報、あるいは問題意識を持っているのであって、それをどうやって社会全体としてくみ上げて、合意をつくっていくかということを、きちんと政策担当者あるいは政府が考えて、何千万人の貴重な経験や現場の知恵を無駄にしないで、一つでも二つでもたくさん社会的な政策の設計に生かされるようなそういう仕組みをつくっていくことも非常に重要なことなのではないかと思っています。 |
尾高 |
ありがとうございます。吉田委員長、お話を聞いていかがですか。 |
吉田 |
牛久保先生は、ILOではプラクティシング・ワーカーズ、実際に実務に従事する労働者が仕事の問題意識や社会とのかかわり方の重要なものを一番知っているんだと、そのことをどうやっていかしていくのかということが一つの大きなテーマになっているとお話になられたこと。高田先生は、現場で働いている人のもっている情報とか問題意識とかをどうくみ上げていくのかという社会的な仕組みをつくっていくということが大事だというお話をされました。ここが、牛久保先生と高田先生のお話の大きな共通項になっています。 労働者の目から見える損保産業の未来を左右する問題 そういう観点で、全損保がこの産業に向き合ってどんなことをしているのかということに触れたいと思います。こういうことがプラクティシング・ワーカーの視点ということになるのかもしれません。昨今の「不払い・取り過ぎ問題」以降、経営者は、お客さまのため、社会的な信頼の回復をするためと、矢継ぎ早にいろんな政策を打ち出していますが、組合員向けの春闘アンケートで「本当にそうだと思いますか」と問いかけたところ、4割近くが「役立っていない」、3割が「どちらとも言えない」と答え、「役立っている」と答えた人はわずか27.6%しかいないという結果です。個別の政策についても、例えば経営者が最も力を入れている「保険金支払い」についてさえ、「どちらともいえない」が3割、「役立っていない」というのが15%で、半分くらいしか「役立っている」と思っていないという実態です。こうみると、やはり、損保が、次の時代に持続的に成長したり発展したりするベースが失われているということがよくわかると思います。 再編「合理化」情勢第二幕と呼んでいますが、いま、損保がどうなっているのかということを考えると、むしろ重要な問題はここのところにあるだろうし、こういうことをつかめて、自由に声をあげられ、意見が言えるという状況をこれから先もどういうふうにキープしていくのか、ここが損保の将来にとって大事なことになる。そうであれば、損保の将来のために、労働組合が存在していくことが極めて重要になるのだなと、お二人の話を聞いてあらためてわかりました。 同時に、人間らしい働き方と暮らしが実現されていくことが不可欠だという話も共通していますが、全損保の調査では、相変わらず12時間、13時間働く労働者がいる職場が普通の状況であり、同時に、仕事についてもやりがいがあると思ってやっている人があまりいないという状況が明らかになっています。これは、人間らしく働き、暮らすという環境が損保の中に実現していないということであって、このような状況を変えていくということも、損保産業の未来を占ううえで極めて重要な問題になっているということが言えると思います。 労働組合があるということを握り、可能性をどこまで広げていくか いま申し上げたような現状を変えていく主体として、労働組合がしっかり存在していくということが、これから先、何よりも大事なことになります。労働組合があるということ自体を握って離さず、その可能性をどこまで役立て、広げていくのか。いろいろな可能性を考えながらとりくみを進めていくということが大事なことであって、そこが、損保再編「合理化」情勢第二幕の先にある産業、企業、職場、労働者の展望を切りひらく鍵になると実感しました。 そこのところを、激動のなかではあっても、みんなで頑張ってつくっていかなければいけない。今までは、何となく空気のように、当たり前のように感じていた労働組合を、意識的に、みんなの意識のなかに存在させていって、声を出せる状況を守っていくということを、どうつくっていくのか。ここが、全損保にとっても大きな課題だと思います。 |
←前のページへ このページのTOPへ 次のページへ→ |