全損保結成70周年記念シンポジウム 70年を語るパネルディスカッション たたかいとる力を高めるために企業の枠をこえて 2019年11月9日 於)主婦会館プラザエフ

浦上  パネリスト二人から「全損保への思い」を語ってもらいます。

70年の足跡を今後につなげ生かして

山本  全損保の組織の規模やとりくみの幅が70年を振り返ると小さくなっているのは事実だと思いますが、同時に、全損保70年の足跡を今後につなげて、生かしていかなければいけないと感じています。私は、規模は小さくても職場実態にそった視点から主張することが重要だと思います。過労死の原因としては行政主導の損保効率化と過当競争ということを挙げましたが、今でも産業全体の統一的な課題があれば全損保は金融共闘の一員としても、金融庁への申し入れを定期的に行っています。そういったことが継続できれば、必ずや実態改善の糸口になると思います。また、日動外勤のたたかいですが、当時、一組合員として駅前や住宅街でのビラまきに参加していました。当時は、どうして他の支部のことでビラをまかなければいけないのかよく理解できていませんでした。現在、共栄火災では積立保険の販売停止という問題が生じて、積立保険を販売するためにできた共栄の直販組織の存在意義を揺るがしかねないような事態になっています。共栄の経営者が外勤をどういった目で見ているのかというと、やはり、日動外勤のたたかいを気にしていると率直に感じます。全損保の歯止めがかかっているということであり、牽制につながっているのです。このように、全損保では、他支部のとりくみの成果が自分の支部のことに影響を与えるということがあります。会社ごとの労組ではなかなか体験できない、産業別単一組織だからこその経験だと思います。全損保70年を今後にどう生かしていくのかということに、「これが正解」はないでしょうし、現役世代の役員、組合員一人ひとりが、どう生かすのかにかかっていると思います。

70年の歴史は行政・経営政策の裏面史

荒木  記念誌を見て思うのですが、全損保の歴史は、たたかいの連続です。これは一方で、全損保がこうせざるを得なかった金融行政、損保経営の政策の裏面史だと見ると、政府や経営者がどうだったのかが見えてきます。戦後、GHQは日本の民主化と労働組合の育成を進めていましたが、1949年前後から反転し、全損保の労働協約のたたかいにも介入してきたわけです。また、60年代に大蔵省は各経営の賃上げに介入してきます。それに呼応して、各経営も従業員の意識を企業内に押し込めようとしてくる。それに抗したのが統一闘争、春闘、産別としてのたたかいとなっていきました。大蔵省と損保経営は自分たちのやりたい政策を自分たちのやりたいようにしたいから、その邪魔になる全損保を敵視して、分裂脱退を誘導していく。そのことが、住友闘争になり東海闘争になり富士闘争になり、そして朝日闘争にもつながっていきますが、たたかわざるを得ない状況だったのだと思います。反「合理化」闘争や外資のたたかい、第一のたたかい、そのすべては経営、政府の政策がもたらしたものに対して、自分たちを守るために全損保がとった行動がたたかいだったということです。損保の自由化もアメリカの身勝手な要求による自由化です。これに対するたたかいが自由化へのとりくみであり、そのことでもたらされた2000年代の分裂、そこでたたかったのが日新であり、日動外勤であり、私の所属する日本興亜でした。ですからこの全損保70年周年記念誌というのは、向こうの側、資本がもたらしてきた政策に対して対峙してきた歴史なのだとみていただければよいと思います。何よりもここに書かれている事実を見れば、私たちの処遇や労働条件は先輩たちがたたかってきたその成果の上にあるのだということがわかります。これを守り新たな処遇、権利をさらに築いていくということをやっていくのが私たちの役割だと思います。その役割は、機関幹部だけではなくて組合員一人ひとりの役割だと思います。職場の一組合員だったときに本部オルグに行って、自分がおかしいなと思っていることに本部もこう考えているのだと思えると「この労働組合でちょっと頑張ってみようか」「この会社で、職場で頑張ってみようか」という風になるわけです。そういったことを広げていくことが、次の時代をつくっていくことだと思います。そのためには、集まって、話し合って、声を出していただきたいと思います。全損保として、さまざまな職場会、集会、つどい、オルグ、サマージャンボリーがあります。そこにみなさんが参加する。職場の仲間を連れてくる。そして、自分の悩み思いを声に出して語っていただくことが、次の成果、到達点を築いていく土台だと思います。

この労働組合が損保に働く仲間の「展望」となるために

常に効率化したい経営に抗して全損保らしくたたかった成果

浦上  損保には、常に効率化したいという経営の要求があり、経営が進める「合理化」政策があります。本日、発言していただいた方の共通項は、第一に、そうした攻撃とのたたかいだったということであり、第二に、いずれも全損保らしくたたかった成果であり、第三に、今もなおすべての運動やたたかいに、活かされているということではないかと思います。
 私も記念誌作成を通じて、全損保がさまざまな試練を経験し、教訓を積み重ねてきた歩みは今も続いていて、いまに続く底力を感じました。こうした70年の歴史を持つこの労働組合に「明日を変える」可能性があって、掲げる要求の正しさと運動の展開に明日への展望を私自身は感じています。

損保の仲間が地域で集まって語り合って

   また、全損保の良さを語るときに忘れてはいけないのは地協だと思います。全損保は、一人ひとりの組合員を企業ごとで構成される「支部や独立分会」の所属とすると同時に、「地協」所属の組合員としても構成してきました。組合員が掲げる要求の実現のためには、ある時は支部という「タテ」の組織で頑張り、ある時は地協という「ヨコ」の組織で運動を前進させてきています。産業の民主化や各闘争、サマージャンボリーなどは地協が運動の推進力となって、産業別単一組織の良さをいかんなく発揮してきたと思います。その「タテ」と「ヨコ」で運動を進めてきた歴史は、「合理化」を狙う経営の組織攻撃との間で常に困難な局面に置かれ、特に「自由化」後の組織問題によって、地協存続と地協にいた書記の雇用問題が生じました。残念ながら、2015年9月にすべての地協を廃止することになってしまいましたが、今でも、地域で全損保組合員が集まる場を積極的に作っていて、「同じ地域に働く損保の仲間」が意見交換や交流をはかれていることで、地協が担ってきた役割の重要性を今に継続してきています。今日この会場にも、支部・独立分会や地域からも多くの仲間が集まりました。ここに集まった仲間が、全損保の歴史や「全損保らしさ」を共有し、「この全損保を維持していこう」と感じてくれていると信じます。そして、「会社は違っても全損保の組合員として集まれる」という、産業別単一組織の良さと力を確信に、「損保産業で起こったことは、すべて全損保の課題」、「仲間の要求は私の要求」として、全損保らしくみんなで考え、みんなで行動することができれば、損保に働く仲間が、今より少しでも生き生きと働き続けることができるのではないかと思っています。そのために、この『記念誌』を片手に、職場で全損保のよさを語り継いでもらい、今後のとりくみや各地域で行われるオルグも含めたつどう場に多くの組合員が参加し、全損保にふれてもらうことができれば、この労働組合が損保に働く仲間の「展望」になっていくと思います。本日のパネルディスカッションが、あらためてこうした運動のスタートとなることを願って、パネルディスカッションを終えたいと思います。

西田  長時間お疲れさまでした。パネルディスカッションを通じて、みなさんも様々感じたことがあると思います。私自身も感じさせられること多々ありました。DVDで紹介された第5代委員長の土田さんが経営と労働者との関係を川の流れに例えられていましたが、常に私たち労働者は、流れに押し流されようとします。それに抗していくのが労働組合です。経営者がいて労働者がいる限り、この労働組合の役割は変わらないし、その必要性は変わらないと思います。その中で全損保のDNAも変わることがない、それは体が大きくなろうと小さくなろうと芯は変わらない。その先頭に立ってたゆまぬ努力を重ねていきたいと思っています。本日は、11支部・独立分会、友好労組も含めて117名の参加で成功することができました。これで70周年記念シンポジウムを終了します。




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