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損保平和交流集会・損保従業員原爆犠牲者慰霊祭 平和について考え行動する大切さを学ぶ |
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8月5日・6日 全損保は原水爆2024年世界大会に連帯し、広島において損保平和交流集会・損保従業員原爆犠牲者慰霊祭、慰霊碑巡りにとりくみました。交流集会には25名が参加し、慰霊祭に33名が参列、慰霊碑巡りにも15名が参加しました。 【8月5日 損保平和交流集会】 損保平和交流集会には、組合員、OB合わせて25名が参加しました。 最初に原爆で亡くなられた損保従業員はじめ、すべての被爆者に黙祷を捧げました。 続いて主催者あいさつをおこなった全損保浦上委員長は、全損保が結成以来、人を大切にする労働組合として平和と民主主義を守る運動に注力してきた歴史、また戦時中、損保が国家統制に巻き込まれ、社会的役割を果たせなくなった苦い経験から、戦後「損保は平和産業」の思いで復興させていった歴史にふれ、一人でも多くの組合員が平和について考え行動することの大切さを語りました。そして、全国の組合員に呼びかけとりくまれた「折り鶴」が7,000羽を超えて集まり、運動が大きく広がっていることを紹介しました。
冒頭、高橋さんは、全損保の慰霊碑について「全損保の碑文は、一番思想性の高いということを慰霊碑の紹介パンフレットに書きました。私自身思い入れの強い碑文です」と紹介しました。そのうえで、「原爆が投下されて79年が経ちましたが、今が最も核戦争の危機に直面しています。その原爆の非人道性について伝えます」と講演に入りました。 ウランが100万分の1秒で連鎖反応して100万度の火球となった「ピカドン」は0.2秒で終わりましたが、放射線が半径2キロ四方の広範囲へ拡散されたことによって、人間の体を突き抜け毛細血管などを破壊する外部被ばく、上空の放射能降下物を口などから体内に取り込んで長期間にわたって放射され続け白血病などを発症する内部被ばくなど、広島に投下された原爆の原理と実像を詳しく紹介し、「こうしたことは原爆でしか起こりません。被ばくは79年も続いています。こんな非人道的なことは許されません」と強調しました。そして、平和記念公園の中に7万体の遺骨が埋められていることを説明し、「ほとんどが誰の骨か分かりません。そんな死に方をさせられる、そんな殺し方をされたということです。ですから、原爆・原発の被害者の訴えは、人道的に決して認めてはいけないということです」と被害者やその遺族の気持ちを代弁して訴えました。 最後に「被爆国の日本が核兵器禁止条約に参加することは、核兵器の無い世界へ圧倒的に影響力を持っています」と、あらためて日本政府が条約を批准することの重要性を強調しました。 講演を受けて、各支部・独立分会・OBの代表からの発言では、講演の感想や平和への思いなどが語られました。集会アピールを採択し、塚本さん(損保ジャパン支部)の閉会あいさつで閉会しました。
【8月6日 損保従業員原爆犠牲者慰霊祭】
損保従業員89名をはじめ原爆の犠牲者となられたすべての御霊に黙祷を捧げ、全損保浦上委員長が「毎年続けているこの慰霊祭が全損保の平和のとりくみの中心です。今後も組合員が、この時、この場所で平和の大切さを感じることを続けていきたいと思います」と主催者あいさつをおこなった後、参列者一人ひとりから献花がおこなわれました。各支部代表からの献花と参加者が手向けた小菊の花とともに、全国の組合員の平和への思いがこもった7,000羽を超える折り鶴が慰霊碑を覆い、参列者全員が平和への思いを新たにしました。
【同日 慰霊碑めぐり】 慰霊祭終了後、代表派遣の人を中心に15名が参加して慰霊碑めぐりをおこないました。「全損保の碑」、「峠三吉の詩碑」、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」、「原爆の子の像」、「島内科(爆心地)」などを巡り、事前に準備してくれた現地組合員の説明を聞きながら、碑にまつわる歴史や建立の思いなどについて学び、平和の尊さについてあらためて考える場となりました。
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