誓いを引き継ぎ、平和の願いを未来に 「核兵器廃絶へ 心一つに」〜被爆66年・広島原爆祈念日
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広島に原爆が投下されて66年がたった8月6日、核兵器も戦争もない未来を願い、心一つに平和の尊さを胸に刻みました。 約5万人が参加した「被爆66年 原爆死没者慰霊式・平和祈念式」では、いまも増え続ける原爆犠牲者(この1年間で5,785人が亡くなられた)への哀悼と世界平和への祈りが捧げられました。「平和宣言」に立った松井一実広島市長は、アメリカをはじめとする核保有国に対し、核兵器廃絶にむけたとりくみを強力にすすめることを求めました。また、式典では、国連の潘基文事務総長のメッセージが代読され、「核軍縮こそが国際平和と安全保障に大きく貢献するのであり、いますぐ遂行されなければならない」と強調されました。 ノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領のもとで、臨界核実験が昨年12月と今年2月に実施され、しかも半年以上公表されていなかったことに世界中から批判が集中しています。こうした緊張のなかで8月6日、「原水爆禁止2011年世界大会−広島」が開催されました。大会では、世界各国代表、全国各地の草の根の市民約2,000名がつどい、「いまこそ広範な人々に被爆の実相をひろげ、核兵器と人類が共存できないことを訴えるときです。被爆者とともに、未来を担う青年たちとともに『核兵器のない世界』への扉を開きましょう」との「広島からの呼びかけ」を決議しました。 全損保では、各支部・地協からの仲間が世界大会へ参加するとともに、大会に連帯して「慰霊碑めぐり(25名)」・「損保平和交流集会(40名)」・「損保従業員原爆犠牲者慰霊祭(60名)」を開催しました。 <碑めぐり> 碑に刻まれてきた事実・現実・願いを受けとめて
「平和のとりくみ実行委員会」は、「平和の語り部」として活躍された東海支部OBで被爆者だった村田さんの遺志を受け継ぎ、「現役世代が自ら学び、自らの手で新しい仲間に平和の大切さを伝えていこう」との思いで準備をすすめてきました。渋川さんと濱中さんは、その碑がなぜ建立されたのか、碑に込められた怒りや願いを当時の惨状に重ねてていねいに語っていきました。全損保の碑の前では、日本の労働組合のなかで唯一公園内に碑を持っていること、10周年に植樹した蘇鉄が今年、返還されたことなどが紹介されたあと、同行していた広島地協元議長の山口節雄さんから、1989年に何者かによって碑が持ち去られたこと、それは碑文の持つ意味と重みを嫌った犯行だったことが説明されました。参加者は、その時につけられた傷に触れ、碑文に込められた平和への思いを噛みしめていました。
<損保平和交流集会> 平和への願いを束ねて形にしていこう
その後、山口さんの発声で乾杯となり、各支部・地協からの参加者の感想交流では、慰霊碑めぐりの感想や平和を守る大切さを自らの言葉で語り、参加者相互の懇親もなごやかにすすみました。 また集会では、広島地協OGの岡さん、高原さん、濱中さんによる詩の朗読がおこなわれました。核兵器に対する憎しみと怒りとを込めた朗読に、目頭を押さえる参加者の姿も。 最後に「被爆66年(2011年)損保平和交流集会アピール− 震災・原発被災者と連帯し、核兵器のない平和な世界をめざそう 『損保産業は平和産業』核廃絶は人類共通の願い」が採択され、広島地協連絡会・塚本さんの「"核兵器のない平和で公正な世界"の実現を願って一人ひとりができることを始めていきましょう。そして来年もまた、ここに集まりましょう」の閉会のあいさつで集会が結ばれました。 <損保慰霊祭> 忘れず引き継ぐ、この誓い
主催者を代表して全損保荒木副委員長が「朝から公園内を歩いてみた。この日この場所に立たないと実感できない思いや空気があると感じた。あらためて原爆投下への怒りと平和への決意を新たにし、決して忘れてはならないと思う。誓いを引き継いでいこう」とあいさつしました。続いて全損保・各支部・各地協の献花、参列の一人ひとりの献花がおこなわれました。 平和は祈るだけで守ることはできません。世界でこの国で「あの日」を繰り返させてはなりません。全損保は、働くものの生活を守る労働組合の使命として、これからも「平和のとりくみ」をすすめていきます。 |
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