3・1ビキニデー 核廃絶を求めて 損保平和交流集会を開催 |
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1954年3月1日、南太平洋マーシャル諸島沖で操業中の、焼津港を母港とするマグロ漁船第5福竜丸がアメリカの水爆実験に遭遇し、乗組員の久保山愛吉さんが放射線障害で犠牲になりました。広島・長崎の原爆犠牲の記憶も新しい日本の人々に、水爆でも日本人が最初の犠牲者になったことから、日本の人々の怒りがわきたち、原水爆禁止を求めるうねりがおこりました。 杉並区の女性が始めた署名運動は、その年の8月には「原水爆禁止署名運動全国協議会」の発足につながり、翌年8月には広島市で「第1回原水爆禁止世界大会」が開催されました。その時、署名は3,238万枚、当時の日本の人口8,000万人の約4割に達しました。 それ以来、日本の原水爆禁止運動は大きく盛り上がり、毎年3月1日は「ビキニデー」として全国から核廃絶・平和を求める人々が焼津に集い、久保山愛吉さんの墓参行進、ビキニデー集会等が行われています。全損保も毎年、代表がこれらのとりくみに参加しており、今年も吉田委員長をはじめ5名が参加しました。 夕方には静岡市で、現地の組合員も集まり15名で損保平和交流集会が開かれました。集会は、原水爆の犠牲者への黙とうからはじまりました。その後、吉田委員長が講演し、「平和と何だろうか」、「損保産業と平和」、「平和が脅かされることと、労働者がないがしろにされることは同時に進む」という3つの観点から話をすすめました。それらをまとめながら、労働組合が元気かどうかは平和のバロメータだと訴え、日動外勤のたたかい、春闘の課題にも触れました。また、今年5月にニューヨークで行なわれるNPT再検討会議への代表派遣を皆で支えようとよびかけました。 その後、交流会を行い、参加者は、日動外勤のたたかいのこと、職場のことを話題に親睦を深めました。 いま、世界的に核廃絶を求める声や運動が高まっており、NPT再検討会議は、今後の方向を決める重要な会議となります。全損保からは5人の代表を送ります。地協では「核兵器のない世界を」署名も進めています(このホームページのトップページからリンクできます)。平和が守られることは、労働者の権利や自由の大前提であり、全損保では、これからも平和のとりくみをすすめていきます。 |
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