被爆60年 広島、長崎で平和誓う | |||||||||
全損保慰霊祭に240人参列 |
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8月6日、9日、被爆60年を迎える広島、長崎で全損保の平和のとりくみを行いました。 広島では、8月4日に開会された原水禁世界大会に全国から組合員が参加し、行動しました。世界大会には29カ国から政府やNGOの代表が参加し、世界大会国際会議宣言「被爆60年−核兵器のない平和で公正な世界へ行動と共同を」が確認されました。 全損保慰霊碑の問いかけに平和誓う 8月5日夕方からは、全損保のとりくみとして、全損保OB村田さん(被団協副理事長)の案内で慰霊碑巡りが行われました。17名が参加し爆心地で何が起こったかを学びました。夜には損保平和交流集会が行われ、全国からの参加者と現地の組合員計49名の交流が行われました。 翌6日は、全損保慰霊碑で損保慰霊祭が行われました。40年前、全損保組合員が力をあわせて慰霊碑を建立し、その後、原爆記念日に毎年、慰霊祭が行われてきました。慰霊碑には、「なぜあの日はあつた なぜいまも続く 忘れまい あのにくしみを あの誓いを」と、碑の前に立つものに、平和への努力を積極的に問いかける碑文が刻まれています。今年は被爆60年ということもあり、組合員・OB計240人が参列しました。参列者は黙祷の後、献花し、慰霊碑に向かい、それぞれが平和を誓いました。 行動で平和を未来に引き継ごう−平和集会
その後、被爆体験者の嘉屋重順子さんが登壇しました。嘉屋重さんは、原爆投下による自らの体験、忘れたい体験を語り継ごうと考えていった人生、海外も含め多方面での活躍とその反応などを語りました。そして、「被爆者が生きているうちに核も戦争もない世界をつくりたい」という決意を訴えました。 品川正治氏(経済同友会終身幹事、全損保元副委員長)も集会に参加しました。イラク戦争で交戦という事態となれば、憲法が突き崩される切迫した状況となるという危機感を伝えました。また、憲法9条は、原爆出現前に定められた国連憲章と違い、原爆投下後に、これ以外の選択肢はない憲法としてつくられたものであると語り、改悪させないため、どのような場でも話に行くと決意を語りました。 吉田全損保委員長は、職場や生活、平和を脅かす力が同時に強まる状況は、あの戦争の入口といえないか、と問題提起し、慰霊碑の積極的な問いかけと「損保は平和産業」「平和を守ることは労働組合の役割」と全損保を結成した先輩の意思を受け継ぎ、何ができるか、常に考える労働組合を守りたいと話しました。 集会は最後にアピールを確認し終了しました。 8日には長崎で損保平和交流集会が開かれました。 被爆60年。おりしも、平和を脅かす憲法改悪の動きが強められています。広島、長崎の地で確認しあった、核も戦争もない世界を築くため、いまこそ、力をあわせなければなりません。
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