スコープNIU

全損保結成60周年 記念シンポジウム 2009年11月12日 於)星陵会館
統合合併問題 損保がぐらつき怖がって
紙の人の産業の危機に
吉田  第一のたたかいに並行して、損保各社が統合・合併をすすめていきます。それがなぜ起きたのか、そのもとで何が起こったのかということについて、瀧さんいかがでしょうか。

瀧  日米保険協議の合意の前後で何が違うかということをお話しします。日米保険協議の以前、損保産業は二本脚で立っていたというのが私の持論です。一つは算定会料率制度、もう一つは全損保です。産業の秩序を支えて発展させてきたのはこの二つです。損保は人と紙の産業と言われますが、損害保険の安定的な普及、各社の安定的な収益、これを支えてきたのが算定会料率制度です。一方、全損保は、全損保統一闘争のもとで、労働者の質、労働の質を高め続けてきたのです。損保産業の処遇水準を全損保がたたかい続けて築きあげたからこそ質の高い学生が集まり、切磋琢磨するなかで労働者の質と労働の質を高めてきたと言えると思います。愛社精神という言葉がありますが、私は愛損保精神というか愛産業精神っていうか、そんなものが全損保、それから全損保には与しないけれども損保産業に働く仲間に大きく共通するものとしてあったと思っています。
 ところが、経営者の目から見ると一本脚だったのです。その一本脚がぐらついたということであたふたしたのが統合・合併問題でした。99年の10月に興亜と日火と三井が統合すると発表し、その翌年2月に破談し三井が抜けた際の20分間程度の記者会見で、興亜・日火両社長は、「規模の利益とコストバランスが競争力の原点、それが料率に反映する」と二度言っています。経営者の立場からすると、身を削る競争なら大きい方がいいという、いわば恐怖心も入り混じり、統合・合併が始まったと見ることができます。
 そのもとで何が起こったのか。
 統合・合併は、みなさんが苦労された「不払い、とりすぎ問題」の種を一つ撒いたのだと思います。損保産業に従事していない方が聞いても理解しづらい特約が横行しました。経営者たちが、「自由化になれば、契約者がフリーに商品設計ができる時代になります」と言っていましたが、つくられた商品は、契約者どころか、代理店も、営業社員も、査定社員も分かっていなかったという事態が生じました。
 また、損害保険の普及ということが私たちの一つの使命ですが、そんなものがどこかにいって、安値競争になってしまいました。どんなリスクにどんな保険を提供しようかという姿勢ではなく、どんな他社契約がいつ満期なのかという質の低い競争に陥ってしまったのです。  このようなことが職場で起こっていながら、その傍らで経営者は、いわゆる成果主義とか、人件費の切り下げだとか、それに飽き足らず人減らしもしました。私の支部では、年に一度の全員集会で組合員が集まりますが、ここしばらく、ずっと言われていることは、忙しくて若手に教育する時間がないということです。「自分たちが育ててもらったような育て方をしていません」、「できません」と、口を同じくして皆が言います。これは、紙と人の産業の危機だと言えます。
 振り返ってみればこういったことが統合・合併の問題のなかで起きていたのではないでしょうか。

典型例はTISの全員解雇
全損保があったから最後も自分で決められた
吉田  ありがとうございました。合併のもとで、職場に何が起こったのかということでお話しいただけますか。

加藤寛  企業にとって合併を効率的に効果をあげるためには、足して2で割るのではなく、システム・商品・制度を主体となる企業に片寄せすると思います。日産・大成は安田に片寄せされた、これが損保ジャパンだと思います。片寄せは企業規模以上に格差をでかくします。片寄せされる側は組織としてではなく、「個」として合流させられる。片寄せする安田の人は「ようこそいらっしゃい」となるが、片寄せされる日産・大成の社員は「はじめまして。おじゃまします」となるわけです。それはなかなかつらいことだったと思います。
 損保ジャパンでは、合併後、ほぼ半数の人が退職し、入れ替わっているようです。みんながみんな「こんな会社は嫌だ、働き続けられない」って辞めて言ったわけではないと思いますが、毎年のように変わる人事諸制度や、一方的に決められる職場の要員数など、片寄せされた日産、大成の従業員だけの問題ではなく、全従業員を対象にした様々な「合理化」による結果ではないかと思います。
 しかし、この合併でもっとも典型的な「合理化」の特徴は、やはり合併前の大成火災の破たんではなかったかと思います。とりわけ、子会社である大成火災情報サービス社(TIS)の企業解散です。大成火災の従業員には、当時の安田火災の社長が「皆さんの雇用は私たちが守ります」と言った。TISは会社解散だから全員解雇だというんです。それはないだろうと誰もが思いました。こんな理不尽な「合理化」はありません。
 しかし、そこに全損保のTIS分会がありました。同じ子会社だった「大成火災事務サービス社」という会社は全損保も労働組合もなく、紙切れ一枚で解散です。TIS分会はこれも執行部を先頭に一生懸命たたかい、一時金もとりました。すっきりと「全員雇用」というわけにはいきませんでしたが、いろんな形で雇用の道筋をつくることもやりました。最後の最後に全員集会を開いて、自分たちの選択でもうここでよしとしようということを選択して決めることができたというのがTIS分会のたたかいでした。紙切れ一枚で消滅させられた子会社との、この違いは、けた違いに大きいと思います。
 だから、このような「合理化」を推進させるために、日産、大成への分裂攻撃がかけられたということだと思います。

組織問題
二つの勘違いと一つの組合
吉田  組織問題というのは何だったのか。お聞かせいただきますか。

 そこには、二つの勘違いと一つの組合論がありました。二つの勘違いとは、経営の勘違いと組合員の勘違いです。
 損保経営は、合併・統合の成果を短期間に表面化させるために「合理化」「効率化」が絶対条件だと思い込んだのでしょう。日産自動車のカルロス・ゴーンは、ルノーから派遣され、下請・系列企業の「合理化」を強行しました。一番問題だったことは研究開発費をバッサリ削ったことです。その結果として、表面的には、あっという間に中身がよくなったように見せかけ、本国に配当という形で資金還流をしたのが彼の“業績”なのです。このように転換期の経営者は短期に成果を目に見えるようにしようとするわけですが、損保では、労働組合を協力者にしようとしたのが、組織問題の発端だったと思います。
 もう一つは組合員の勘違いです。ある方から、「人間というのは、『この組織と強くしよう』と思ってその組織を選択するものではない。この組織にいた方が得だ・有利だと判断してその組織を選ぶものです」と教えられたことがありました。やはり、労働組合が分裂する局面になると、視点が狭くなり近視眼的になるわけですが、もしかしたら鎧をとり、兜を脱ぐことになるかもしれないと薄々は感じていても、自分を守るためにこれがいいと組合員が勘違いしたのだと思っています。でも、組合員は責められない。むしろ振り返って、その手前・手前で全損保の良さを伝え切れなかった自分に今でも反省しています。
 しかし、勘違いですから、うまくいっていないのは確かです。「合理化」「効率化」をすすめて良くなった会社がありますか。全損保から抜けてよかったという人がいましたか。勘違いだから全部うまくいっていないわけです。みんな一様に、「以前はいい会社だった」と言います。日本興亜を例にとるならば、収入保険料の低減、従業員の長時間労働などの問題があるにも拘らず、原因分析をせずに“対策”を立てているので問題点にヒットしません。日火の時代には、問題の本質を職場の視点で全損保日火支部が指摘したわけですが、いまは、そういうこともなく、私に目には原因分析抜きの愚策が横行しているように見えます。
 何かの現象があって、それは何だろうかと問題点を把握して、その原因を探って対策を立てるようにしなければ、何事もうまくいかないものです。損保の職場に生じている問題だけではなく、政治や経済政策に関しても、原因分析抜きで結論だけを押し付けられる、そんな動向には注意してほしいと思います。これが二つの勘違いということでお話ししたかったことです。
 もう一つは、一つの組合論です。一つの企業だから一つの組合でいいでしょうと。「もっともらしい」言葉ですが、よく考えてほしい。労働組合がなかった企業で整理解雇が始まった時に、労働者が立ち上がるというのはニュースでもよく見ます。それは、労働者が労働者のために組織をつくるということです。ところが、労働組合の分裂は、経営者が経営者のために組織介入をしてきた時におこります。私の不勉強があるかもしれませんが、労働者が本当に正面から仲たがいをして分裂したという話は聞いたことがありません。常に経営者の影があります。私たちが経験した組織問題もそうした背景があるわけですが、どんな労働組合なのということを全く言わずに、「一つ、一つ」と並べたてるだけなのです。企業が合併したら労働者と労働組合にどんな問題が起こるのだろうか、それはなぜ起こるのか、その対策のためにはどうしたらいいのか、ということは一切に抜きに、組織の姿だけを最終結論にして押し付けたというのが「一つの組合論」だったと思います。

この大事な組合を残したい
今に引き継がれる書記の自主討論
吉田  ありがとうございました。お話をいただいたように、大きな混乱が損保業界にも全損保にもあり、全損保を安定させていくという問題もありました。

加藤寛  雇用攻撃、組織問題と、その一つひとつのたたかいには人間ドラマがあり、成果もあったことは事実です。しかし、その結果、組合員数が減る、イコール財政が減るというシビアな現実が残されることも事実です。当時、本部の財政は約半分になりました。14の地協、18名の書記6名の専従役員を維持することは、誰がどう考えても物理的に無理ということがつきつけられた現実でした。この問題では、気分が滅入り、胃が痛くなる議論を繰り返したということを思い出します。自分が育った四国地協を閉鎖することは自分にとっても忸怩たる思いでした。書記の仲間はもちろん生身の人間で、書記局を物理的に閉鎖するということでは済まなくて、家族も含めて生活があるわけですからそんなに容易くないというのは想像に難くないと思います。しかし書記の18名の仲間は、全損保の組織の安定と強化をはかるためとし、本当に正面から議論してもらった。きつい議論だったと思いますが、最終的に7名が勇退をするという結論になりました。今は淡々と言っていますが、これはもう本当にすごい話なのです。そのときに書記の仲間が論議した結果をまとめた書記労ニュースを機関紙全損保にも載せました。そこに勇退する仲間の声として「こうなって悔しい、この大事な組合をなんとか残したい、あなた達組合員のためにこうした組合が必要なんだということを伝えたい」というコメントがあります。この労働組合が必要なのだ、この大事な組合をなんとか残したい、この思いが当時の困難な状況をしのぎ、今に引き継がれ、こうやって全損保が健在にたたかっていられるということを再確認したいと思います。





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