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4・18シンポジウム この職場から 日本の安心安全は守れるのか パネリスト報告 C
山家悠紀夫さん 共通の背景としての新自由主義、
「構造改革」路線


暮らしと経済研究室主宰 山家悠紀夫さん
尾高) ありがとうございました。それでは3人の発言を聞いていただきましたが、山家先生からお願いします。

山家)  今、いくつかの業界の現状と、そこでの職場の状況などをお話いただきました。共通して規制緩和が語られましたが、そういう政策を生み出した背景について、私からお話したいと思います。

■新自由主義の考え方

◆安全より目先の利益−現実の競争で、企業はブレーキをかけない
 こうしたことが起こった背景として、新自由主義という考え方が浸透して、その政策がとられたということがあると思います。 図表26 に、新自由主義という考え方のエッセンスがまとめてみましたが、1つの柱は、政府は極力小さくし、経済活動は行わず、経済は民間、市場を任せればよろしいという考え方です。もうひとつの柱は、市場の動きに政府は極力介入しないほうがよろしい、自由に競争させたほうがよろしい、そうしたら経済がすべての点でうまくんだという考え方です。
 本当にそうかなと思うのです。最初の山口さんのお話の中で、規制緩和が最初に犠牲にするものは安全と雇用だということがありましたが、これで安全がちゃんと守れるのでしょうか。このことを、新自由主義がどう説明をするのかと言いますと、「安全というのは事故を起したら会社は大変な損をするんだ。だからそういうことをならないように、企業は自然ブレーキをかけるんだ。だからいいんだ」という説明になります。実際にはそうではありません。安全のためのコストは、とりあえずは利益に結びつかず、むしろ費用だけがかかる。競争は、主として短期の市場で、毎日の株価をみながら、あるいは四半期ごとの業績をみながら進んでいく。ですから、その競争の過程で安全のためのコストをかけ過ぎて負けてしまったら、安全対策をちゃんとやっているから負けたと言っても言い訳にならないわけです。どうしても企業は目先の利益に走りがちで、安全は軽視されるというのが現実にはおこっていることです。

◆「企業も自由、働く人も自由」−働く人が思いのままにされる現実を無視
 雇用の面では、新自由主義の考えはこうなります。「企業に自由を与え、働く人にも自由を与えて、互いに契約をしてもらう。会社に貢献してくれたら沢山いい処遇をするというふうにしたら、みんな頑張って効率が上がって良くなる」と。本当にそうなのかといえば、企業と個人の力関係は全く違い、働く人は働かないと食べていけないわけですから、そういう自由にすれば企業の言い分がそのまま通って、働く人は企業の思いのままにならざるを得なくなります。現実にそういう問題が起こってきていることも、この考え方は全く無視しています。


■新自由主義の生い立ち
◆80年代、新自由主義を採用した国々
 そのような変な経済学というか、よく考えたらおかしな経済学なのですが、それがいま、経済政策の中心になっています。 図表27 には、そういう思想に基く政策をとった国をあげています。主として80年代ですが、アメリカはレーガン大統領からブッシュの時代まで約10年ちょっと、イギリスもサッチャー首相が登場してその後のメジャー政権まで、これは20年くらい、ニュージーランドは80年代後半から90年代いっぱいにかけて、ご説明したような政策で、極力規制を緩和し、政府部門を小さくし、という政策をとりました。

◆新自由主義が採用された3つの背景
 そういう政策をなぜとったか、あるいはどうして出てきたか、ということですが、3つほど背景があります( 図表28 )。  一つは、アメリカなりイギリス、あるいはニュージーランドの1980年代初めの経済状態が非常に厳しかったということです。第2次石油ショックの後で、景気は悪いし、物価は上がるし、対外国との競争では負けて国際収支は大変な赤字になるし、財政も赤字になる。こういう状態を何とかしなければいけない。どうしたらいいかということで、レーガンもサッチャーも、とにかく自分のところの企業を強くすればよろしい。そうしたら競争にも勝てる、景気がよくなるような経済になるということで、企業を強くするような政策をとろうということになった。言い換えますと、働く人にそのしわを寄せてもらって、賃金を上げなければインフレにならないし、賃金を上げなければ企業も儲かる。そうすれば競争にも勝てるだろうという政策、新自由主義的政策を採ったわけです。
 二つ目に、経済学自体がそれを受け入れるような経済学に変わってきたということです。これを話すと長くなりますが、極端にいうと変な経済学です。経済学の最初の頃、アダム・スミスが自由主義政策を唱え、多くの経済学者がその信者でした。しかし、その当時と新自由主義が採用される1990年代頃とは経済状況がまるで違っています。片や巨大な企業が出て、一人ひとりの競争という時代ではなくなっているのに、また昔の経済学を復興させた。それがアメリカで力をもって、だんだん世界に広がり、今でも経済学の主流になっているわけです。どうしてそういうことが起こったのかということは、経済学的には理解がつかないのですが、例えば、アメリカのクルーグマンいう経済学者が言うには、政府にとって都合のよい経済学だから流行するようになったのだろうと説明をしています。そうとでも言わない限り説明できないような経済学が誕生し、力をもってきたということになります。
 それからもう一つの大きな背景が、社会主義経済圏というものが、ソ連の崩壊とともになくなったということです。資本主義経済は、1917年のロシア革命前後から常に社会主義の脅威、要するにひどい社会になると革命がおこって社会主義になってしまうという脅威にさらされていました。そうならないためには、それなりに働く人を処遇しなければいけないし、変な社会にしてはいけないという歯止めがあったわけです。資本主義でもちゃんとした社会がつくれますよ、働く人の権利もちゃんと守れますよ、と努力をせざるを得ない状況があったということです。ところが、相手方がこけてしまったので、もう脅威はなくなった、ひどいことをやってももう革命はおこらない、社会主義を目指そうという人々はそんなに力を持たないということで、安心して企業が儲けるためにしわを働く人に寄せることが可能になりました。社会がおかしくなっても、それはお互い様ですから、資本にとってそれほど都合が悪いことではなくなったということがあるかと思います。


■日本の新自由主義経済政策の進展=「構造改革」政策
◆バブルがはじけ、「構造改革」の考えが押し出される
 問題の日本ですが( 図表29 )、日本も80年代、中曽根内閣が、レーガンともサッチャーとも相性が良く、その時に新自由主義の経済政策をとり始めたのですが、幸か不幸か、日本はアメリカとかイギリスほど経済状況が深刻ではありませんでした。国際競争力は非常に強くて国際収支は黒字でしたし、第2次石油危機もうまく乗り切った。景気も悪くなかった。中曽根内閣の頃からはバブルが始まるということで、とりあえず政府部門の民営化をしたにとどまりました。  本格的な新自由主義的経済政策がとられたのは90年代半ばです。バブルがはじけて景気が非常に悪くなった。その時にどうしたらいいだろうということで、アメリカとイギリスのように企業を強くすれば日本経済も強くなるだろうという「構造改革」の考え方がでてきました。これを具体的に政策として展開したのが、最初は橋本内閣で、「6大改革」という名でいろんな構造改革をやろうとした。ただ、それで不景気になって一旦挫折しましたが、小泉内閣以降は積極的に「構造改革」政策、言い換えれば新自由主義経済政策をとり続けてきました。


◆企業が儲かれば経済がよくなるという「構造改革」のエッセンス
 そのエッセンスは何かと言いますと、 図表29 に書きましたように、企業が儲かるような経済構造に日本経済に変えていこう、そうすれば企業が元気になり、日本経済がよくなるという考え方です。そしてとった政策の諸々が規制緩和ということになります。
 企業の共通のコストは人件費ですから、企業が儲かるためには、人件費を安くなるようにし、人が自由に使えるようにすればよいということで、特に労働の規制緩和が行われました。もう一つは小さな政府です。民営化とか民間委託、あるいは社会保障自体をスリムにするという政策がとられて、今もその流れにあります。福田首相は、「構造改革」にはいろいろな問題がでてきたので、問題には対処すると言っていますが、基本的には「改革」を貫くといっています。
 さきほど、山口さんのお話のスライドを見ていましたら、ANAとJALでずいぶん正社員の比率が違うということがありました。こういうのを「改革」派の人はどういうかといいますと、「JALはまだ経営改革が足りない」と、「もっともっと改革をして儲かるようにならなければいけない」と、そういう価値判断になります。新聞などもしきりにそういう批判をしますが、そんな考え方に貫かれる政策が、日本でもここ10年くらいとられているということです。


■「構造改革」政策がもたらしたもの
 −しわ寄せが正当化され、しわ寄せのできる「構造」と、
 しわ寄せざるを得ない状況が作られた

 その政策のもとでどうなってきたかということですが、 図表30 に3つほどあげました。
 一つは景気が悪くなったということです。小泉内閣で景気がよくなったと言われますが、実はそんなに良くなっていません。小泉内閣が登場したとき、猛烈に景気が悪くなりました。猛烈に悪くなった状態からは戻していますが、小泉内閣が始まる以前、あるいは橋本内閣の頃に較べますと、日本経済自体は一向によくなっていません。むしろ若干貧しくなったと言えます。
 二つ目には、こうしたなかで、企業同士の競争も激しくなり、あるいは個人、働く人々も競争させられたということです。
 三つ目には、競争が激しくなったというしわが、企業では中小企業に、企業の中ではひたすら働く人々に、寄せられたということがあげられます。
 「構造改革」の考え方は、会社は株主のためであるということで、人件費を抑え、働く人にしわ寄せをすることをある程度正当化した。さっき言ったようにJALの正社員の比率が多いのは経営の効率化の努力が足りないというような格好で批判されるような社会になってしまいました。「構造改革」政策によって労働規制が緩和され、働く人にしわ寄せのできる、企業が自由にできるような構造がつくりだされたということになります。
 それからもう一つは、あまり人は言わないですが、「構造改革」の政策が企業にも圧力になって、しわ寄せせざるを得ない状況になっているということです。昨年来、いろいろと話題になっていますが、企業が十分に儲けていないから、もっと儲けることができるだろうということで株を買い取ろう、乗っ取ろうとする動きがでてきます。もっと人件費が削減できる、この部分を切り捨てたらもっと儲けることができるということで、企業経営者が、最大限短期間で、半年や1年で儲けないとこの会社を乗っ取ってやろうという外からの圧力にさらされるのです。儲けざるを得ない、常に「儲けています、儲けています」と発表していかないと乗っ取られるというリスクがある。そのなかで、食品業界の不正なども出てきているのではないかという感じがいたします。
 急ぎ足でしたけれども、いろんな業界でいま起こっていることの背景としてこんなことがあるということをお話しました。




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