全 損 保 綱 領 |
1.私たちは全損保の団結を強め人間らしく働き生活する権利を守り向上させるためにたたかいます。 2.私たちは損保産業を健全で民主的に発展させるためにたたかいます。 3.私たちは憲法が保障する基本的人権、労働者と労働組合の権利を守り発展させることにつとめます。 4.私たちは広範な労働組合と共同行動、共同闘争をすすめ国民労働者本位の政治・経済への転換をめざします。 5.私たちは国民労働者と幅広く連帯し平和・民主主義を守るためにとりくみをすすめます。 |
全損保の沿革 |
敗戦後の日本に嵐のように結成されていった労働組合。損保労働者も力強く立ち上がりました。1946年には、損害保険従業員組合連合会(略称 損保従連)が誕生。損保従連に結集する損保労働者は共同闘争を展開しながら、組織の単一化をめざし、1949年11月、産業別単一組織である全日本損害保険労働組合を結成しました。 以後、全損保は、労働協約獲得に向けた統一闘争、地協・地区協の組織結成、原水禁運動などへの参加、春闘統一闘争など、損保労働者の生活と権利の向上、平和と民主主義を守るたたかいを前進させていきました。1960年後半には、金融業界全体に再編・効率化の波が押し寄せ、全損保にも分裂・脱退の事態がもたらされました。しかし、組合分裂を口実とした不当解雇を撤回させる住友闘争など、数々のたたかいの中で痛手を乗り越えました。 その後は、損保労働者の生活や権利を守る運動を力強くすすめ、過労死闘争、東海闘争、富士闘争、朝日闘争など差別と権利侵害とのたたかい、春闘統一闘争、長時間過密労働の実態改善、国民・消費者のための損害保険をめざす運動、平和と民主主義を守るたたかいなどを通じ、運動と組織は発展してきました。 1998年の損保「自由化」以降、損保全体に激しい「合理化」競争が吹き荒れましたが、労働者の生活と権利、労働条件を断固守る立場で、雇用破壊、企業破綻、統合・合併問題に立ち向かいました。その中で、再び、分裂・脱退の事態も起こりましたが、それを乗り越え、労働者の拠り所として奮闘を続けています。 |
全損保がすすめている運動 | ||||||||||||||
全損保は、組合員一人ひとりのために全体の力をあわせて、それぞれの時代にふさわしい運動を探求し、損保労働者の拠り所となる全損保の運動と組織を明日につなげる努力に全力をあげてきた労働組合です。現在、「働くものの主張の主体となり、共感を広げる」ことを基本スタンスとして、3つの柱で運動をすすめています。 1.雇用と人間らしく働ける職場を守る
損保に働くものの「これはおかしい」「何とかしてほしい」という主張をたばねて、産業、企業、仕事、職場、生活に「ルール」をつくり・主張し・守らせ、真に「健全」な産業と、人間らしく働くことができる職場をとりもどす運動です。「ルール」は全8章29条文にまとめられ、ハンドブックとして全組合員に配布されています。
全損保は、毎年の春闘を統一闘争としてすすめています。秋のたたかいから、職場会や全組合員を対象としたアンケートを実施し、要求を確立し、力をあわせて実現をめざします。最近では、「春闘スケジュールの改革」にとりくみ、もっともふさわしいたたかい方を追求しています。
長時間過密労働の実態をはじめ、職場の「歪み」をただすために多彩に運動をすすめています。年3回の集中月間を通じた「歪み」の解消、第2水曜全損保統一早帰り日、雇用攻撃の排除、生涯生活安定などにとりくみ、労働法制改悪に反対する運動にも参加しています。 2.国民・消費者のための損害保険 健全で民主的な損保産業をめざす
3.人間を大切にする労働組合として奮闘する 労働者の差別と権利侵害を許さず、全体の力をあわせてたたかいをすすめています。また、全損保は、広島平和記念公園内に労働組合として唯一、原爆慰霊碑をもち、原水禁世界大会や日本母親大会へなど、平和と民主主義を守るたたかいにも積極的に参加しています。
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