全損保結成70周年記念シンポジウム 70年を語るパネルディスカッション たたかいとる力を高めるために企業の枠をこえて 2019年11月9日 於)主婦会館プラザエフ

浦上  ここで記念誌の編集に携わっていただいたお二人から発言してもらいます。一人目は、去年の4月に解決したゼネラリ社の日本撤退とたたかった居相さんです。

会社をこえた全損保独特の温かさ

5日以内に合意を求められた退職面談

居相 居相  ゼネラリ社は2017年7月に日本撤退、閉鎖を発表しました。前年度は好成績で社員にとっては突然のことでした。発表の翌日から退職勧奨が行われました。一番大きな問題だったのは、会社が一方的に定めた「退職指定日」でした。理由を告げず、退職日が個々人バラバラに設定され、しかも、指定日以外での退職は、割増の賃金も割増の退職金も出さないし、転職の支援もせず自己都合退職とされるというものでした。こういう条件を示され、密室での個人面談で退職が勧奨され、5日以内に合意の印鑑を押すことが求められ、押さなければこの条件はなくなると脅されました。
 もともと労働組合のない会社でしたから、社内で不安が広がりました。そうしたなかで、たまたま社員の中に全損保とつながりのある人がいて、浦上委員長をはじめ本部の方々に相談して全損保ゼネラリ分会を結成し、そこからようやく団体交渉が始まりました。毎回の団体交渉には多くの中執の方々に参加してもらい、宣伝ビラもほとんど浦上委員長に仕上げてもらうというように一から支援してもらいました。社内は、これまで労働組合とは無縁な人達ばかりでしたので、何をしていいのかさっぱりわからない、普段からのコミュニケ−ションも不足している、業務以外のコミュニケ−ションもほとんどないような60人くらいの規模の会社でまさに吹けば飛ぶような存在でしたが、全損保という産別組織に全面的にサポートしていただき、何とか交渉を進めました。

局面を動かした満席の傍聴支援

   しかし、いくら団体交渉を繰り返しても会社の姿勢はかたくなであったため、12月に東京都労働委員会へ不誠実団交を柱とした「不当労働行為救済」申立てを行いました。都労委の調査日には、全損保のOBの方、現役組合員の方、金融関係の組合の方が、毎回70〜80名が傍聴に来ていただき、労働委員会の事務局が用意した大きい部屋もいっぱいで入りきれないほどの支援をしていただきました。そうした支援者の多さによって公益委員も感じるところがあったのでしょう。また、申立ての4ヵ月後の3月に退職日を指定されていた人が多いという緊急性もあって、3月末を見据えてほぼ毎週調査日が設定されるという異例の対応をしてもらいました。そうした公益委員の姿勢もあって、それまで一切動かなかった退職条件が急激に変わり、4月15日に解決することができました。浦上委員長をはじめ本部のみなさんと毎日のように連絡を取り合い、ビラの作成、交渉の進め方も含めて様々なアドバイスをいただきました。こうしたサポートがなかったら、このような道筋はそもそもなかったですし、たぶん組合自体が途中で消えていたと思います。最初はちょっと不思議でしたが、会社が違い、ゼネラリ社自体も知らない人たちなのに、無条件で応援していただけるという、この全損保の空気というのは貴重なものでした。今、私は外資系の損保会社に勤務し全損保組合員ではありませんが、毎月のように本部に行き情報交換をさせてもらっています。何故かこの記念誌にも関わらせてもらいました。いつでもウエルカムな雰囲気というのが本部だけじゃなくて、全損保そのものが持っている独特な空気だと思います。それは有事の際だけじゃなくて、日ごろから従業員同士、組合員同士でコミュニケーションをとってやっていこうという組合の空気、さらに全損保の会社も超えた業界全体でのつながりという独特の温かさだと感じています。あらためて今でも受け入れていただいていてうれしく思います。我々のたたかい、素人でつたないたたかいではあったのですが、全損保のみなさんと本部の方々のサポートのおかげでこういった解決ができたと思っています。
浦上  次に同じく日本撤退を経験された元R&S支部の長尾さんお願いします。

たたかいを通じて組合員が人間として強く成長できた

「28名/200名」のたたかいが社内を安定させた

長尾 長尾  R&Sのたたかいでは最初に「首切りありきの事業譲渡は許さない」というスローガンを立て、すべてのニュースにこのスローガンを書きました。たたかいは、ロイヤル&サンアライアンスという損保グループが世界的な合理化の過程において日本支店の閉鎖を決定し、保有する保険契約を他の保険会社に売却する一方で、社員全員との雇用契約を終了させるという発表をしたことに始まります。会社は、全従業員を辞めさせるために準備した「退職プラン」に合意することを強く求めてきました。たたかいの経過は記念誌をご覧いただくとして、当時の組合の役割と言うか、どういう機能、効果があったのかということを三点で話します。
 一点目は、「混乱する社内を安定させた」という機能です。会社が無くなるから、辞めていただくと会社に言われ、社内のモラルや秩序を維持するのは難しいかと思っていましたが、支部が状況を整理し、交渉で会社に説明をさせて、支部ニュースをつくって掲示板に貼る、そういうことをすることで社内が非常に安定していきました。社員は約200名、支部組合員は28名でしたが、社内全体が組合の動向を注目しているような状況になり、冷静に対応することができました。
 二点目は、「経験を活かせる」という機能です。社内がそういう状況にあるなかでもたたかえたのは、その数年前に全損保が雇用を脅かす数々のたたかいに立ち上がっていたことが大きかったと思います。記念誌にもありますが、ACEのたたかい、第一のたたかい、TISのたたかいなど、たたかいのデータバンクとでも言える経験がありました。当時、私自身も中執としてそれらのたたかいに触れていましたので、自らの支部に生じた不測の事態においても、冷静さを保つことができたと思っています。もっとも、私も団交の席上では熱くなることが多く、本日コーディネータ―をされている浦上委員長が、当時は本部書記長として私達の団交にも毎回参加していただくなどご支援をいただき、冷静に交渉を進めていただきました。良いたたかいができたなと感謝しています。

思いを共有してつくられた団結が解決の決め手

   最後に、記念誌にも至る所で「一方的」とか「押し付け」という表現が出てきますが、会社に決められたストーリーに乗せられて辞めさせられるのは嫌だということを表現して、思いはみんな一緒だということが共有できたことにより、「団結の基礎ができた」ということが言えます。ビラを配ったり、全損保の顧問弁護士に相談したり、公的機関を活用したり、また全損保の他支部の方々と交流させていただくことなどを通じて、最初はあまり積極的でなかった支部の組合員も、徐々に正しいと考えることを実践していくことには逡巡しなくなりました。最初の集会では殆ど発言しなかった組合員も、最後には発言をするようになったということもありました。もちろん100%思いどおりになるということはありませんが、当時の組合員の多くが変わっていくということを感じました。困難があればこそ、たたかいを通じて多くの組合員が人間として強くなれたというか成長できたと感じています。




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