8・6ヒロシマ発 平和への誓い 新たに

慰霊碑めぐりに真剣なまなざし
写真:被爆者でもある村田忠雄さん(東海支部OB)の案内で慰霊碑を巡る
被爆者でもある村田忠雄さん(東海支部OB)の案内で
慰霊碑を巡る

 8月5日夕方、広島平和祈念公園に、現地から、全国から訪れた組合員やOB、家族など32名が集まり、慰霊碑めぐりははじまりました。32名のうちには、自らも被爆者である東海支部OBの村田忠雄さんが案内し、公園内・周辺の慰霊碑を巡りました。
 自らの言葉で原爆の事実を語り、それぞれの碑に込められた訴えを語る村田さんの話を聞きながら、参加者の真剣なまなざしが慰霊碑に向けられました。
 「我が子の為、又、私達皆の為、帰ったら、子ども達に話し、戦争に行った父に話し、姉・兄・妹達にも、今日見た事、聞いた事、是非話したい。そして、又、皆んなで訪れたいと思います」、「広島に原爆投下というのは、小学校などで教育を受けて知っていましたが、その詳細というのは、恥ずかしながらあまり知らず、今日は本当にためになる貴重な体験となりました」などの感想が寄せられています。


職場と平和を語り合った損保平和交流集会
写真:平和に対する共感が広がった
平和に対する共感が広がった

 慰霊碑めぐりが終わると、損保平和交流会が開催され、53名が参加しました。主催者を代表してあいさつした全損保吉田委員長は、「弱いものに犠牲を押し付ける国と、戦争をする国が同時につくられている。全損保の慰霊碑の碑文に込められた先輩方の誓いを引き継ぎ、生活や職場を守るとりくみも、平和を守るとりくみもすすめていこう」と呼びかけました。乾杯の発声に立った全損保漆野副書記長は「沖縄や広島で戦争に実態に触れ、自ら平和を守らなければならないという思いを強くしている。みなが、自覚を持って平和を守っていこう」と述べ、共感は大いに広がりました。
 懇談では、自然に職場の問題、平和の問題を語り合うようになり、あいさつに立った各支部・分会の代表も、慰霊碑めぐりの感想や平和を守る大切さを自らの言葉で伝えました。集会は、最後に「2007年 損保平和交流集会アピール どんな戦争にも正義はない 核兵器のない平和で公正な世界を求めて奮闘しよう」を確認し、終了しました。


誓い引き継ぐ慰霊碑 損保原爆犠牲者慰霊祭
写真:全損保の慰霊碑に集まり慰霊祭、碑文の誓いをかみしめた 写真:全損保の慰霊碑に集まり慰霊祭、碑文の誓いをかみしめた
全損保の慰霊碑に集まり慰霊祭、碑文の誓いをかみしめた

なぜあの日はあった
いまも続く
忘れまい
あのにくしみを
この誓いを
 これは、広島平和記念公園内唯一の労働組合の碑である、全損保の慰霊碑の碑文です。原爆投下当時、広島市内に200名の損保従業員がおり、89名が犠牲となりました。全損保では、毎年、8月6日の朝、この慰霊碑に集まり、ご遺族をお招きして損保原爆犠牲者慰霊祭をおこなっています。今年も、現地、全国から、70名の組合員や家族、OBなどが参列しました。参加者は、慰霊碑に手を合わせ、碑文の誓いをかみしめました。



参加者の感想
 先ずは、刺激的でした!そして、村田さんの説明は感動でした。
 広島市立高女の慰霊碑で「原爆」という言葉が使えないために、「E=MC²」というメッセージを残すだとか、ジュノー博士の広島救援計画のお話、全損保の記念碑には胸をうたれました。
 写真を見るのと、実物を目にするのとでは、受ける衝撃が全く違うことがよく分かりました。
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 テレビ等だけで毎年、見る、聞くだけでしたが、とても身につまされました。いかに今、自分は幸福かと。 この広島・長崎の人達のおかげで、日本は平和である事。これからも絶対に戦争はいけない。何もプラスになる事はないし、何も良き物は生まれない。
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 現役時代参加出来なくて、やっと定年後に参加出来ました。
 村田さんの詳しい説明は、体験されてこその実感が伝わってきて、碑の後ろから、当時の人達の苦しみや悲しみが聞こえてきそうでした。テレビでしか見たことのない平和祈念式典もしっかり参加して、世界中から平和を願って集まった人達と共に、戦争のない平和な日本・世界を実現させる力になれるようがんばります。



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