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2009年4月17日・全損保シンポジウム 危機と展望 そして労働組合の可能性 再編『合理化』情勢第二幕にどう向き合うか 於)中央大学駿河台記念館
尾高
参加者も真剣に聞き入る
参加者も真剣に聞き入る
 ただ今お三方から報告を頂きました。お話を伺うと、冒頭高田先生がおっしゃった金融危機の実相からすると、よく言われるように、金融の暴走とか、新自由主義の破たんとか、そういう言葉だけでは片づけられないような気がします。牛久保先生からは、ILOの方が心配をされていると言われたことに象徴されているように、金融危機のもとで、さまざまな社会的な指標でみて、日本が大幅に立ち遅れている状況が指摘されました。吉田委員長からは、損保産業が、地域社会にどう保険を普及させていくかということと無関係となっており、その異常さをどうまっとうな道に戻していくのかを考えるとと、その役割を果たしていくのが労働組合ではないのか、という話がありました。
 高田先生、世界金融恐慌の大きな要因として、生産と消費の矛盾があるというお話がありましたが、そういったところも絡めながら、今の牛久保先生と吉田委員長のお話を聞かれて、どのようにお考えになるかコメントを頂けませんか。

高田  司会者からとても難しい話を振られたので、頭の中を急きょ整理しているところなのですが…。

付加価値を、配当ではなく、有益な企業活動に使うという視点が重要
 牛久保先生の話に関連していえば、OECDがつくった「世界の不平等は拡大をしている」という最新の世界的な調査があり、この中に先ほど牛久保先生が指摘された、日本の貧困家計の割合が非常に高いというデータが出てきます。その中に、私の話のなかで出した労働分配率のデータも出ていまして、OECDの中の15カ国くらいの労働分配率について、1976年から2006年の動きがあるのですが、もともと日本は、資本主義国としてはやや特殊で、例えば1976年ころだと平均労働分配率が70%を超えている。こんな国は世界にはなかったわけですね。ある意味、労使協調というか、フォーディズム(注10)が一番残っていた資本主義だったと思うのですが、80年代に入って、急激に労働分配率が低下して、今やこの統計でみると60%です。だから、76年以降、十数%落ちています。もう、ほかの国と遜色なくなっていますが、他の国も押し並べて例外なく労働分配率がこの20年間、30年間でどんどん低下しているわけですね。
 企業は、労働者が働いて生み出した付加価値の多くを賃金として分配しないで、それを利益の形で取り上げて、長期的な視点から設備投資、研究開発、あるいは社会的投資などに回せばまだいいのですが、その多くを配当に回しています。さらに、余った金は株価を引き上げるための自社株買いに回していく。そういうふうに、非常に歪んだ、不健全な形で企業の付加価値が分配されたり利用されたりする傾向が世界的に強まっているわけです。そういうことが、先ほど申し上げた生産と消費の矛盾、つまり資本制生産の矛盾を強めていく。
 したがってどんな職場で働いている人も、金融にかかわらず、もっと声を大きくして組合を強くし、賃上げをかちとっていくことが必要です。企業は労働者が生み出した付加価値を、株主のためではなく、働いている人のために、社会に有益な企業活動を長期的に展開していくために大事に使うという視点がまずは重要だということです。

(注10) フォーディズム アメリカの自動車会社フォードが採用した、ベルトコンベアーで生産を行い、(T型フォード車が変えるような)賃金を労働者に支払い、高度成長をはかっていく大量生産・大量消費の生産システム

超巨大な金融機関が損失をまき散らし、国民に尻拭いさせている
 もう1つ、金融の問題について、損保独自の問題について私は不勉強ですが、吉田さんは、4社が多くのシェアを持って、一種の寡占体制ができていて、これが問題だと指摘されました。アメリカでも、1980年代以降、金融の寡占化、合併がどんどん進み、業務が多様化して、超巨大な金融機関ができあがりました。このような巨大で複雑な金融機関が、経済に貢献するどころか、国民にとってどれほど危険な存在であるかということが、今回の金融危機で、本当に嫌というほど明らかになったわけです。
 アメリカの金融部門全体で2兆7,000億ドル位の損失が出るという話ですが、そのうちの大半は、わずか5つか6つの巨大金融機関で発生するわけです。投資銀行で言えばわずか5社の投資銀行のうち3社がつぶれて、残りの2社もそのままでは経営を維持できなくなった。商業銀行についても、シティグループ、バンク・オブ・アメリカなどいずれも莫大な公的資金の投入なしには経営をつづけられない状態です。
 これらの金融機関は、これまで「時価会計、時価会計」と言ってきたのに、まともに時価会計で資産を査定したら、どれもみんな自己資本がなくなってしまう状況になっています。だから、倒産率からいえば大手巨大金融機関はほとんど100%です。歴史的に見ても、大手銀行は、地方銀行に比べて倒産確率が圧倒的に高いわけです。ところが、いったん倒産した時には、自分たちで処理できない莫大な損失を発生させて、その結果、政府あるいは中央銀行が負担し、最終的には国民の負担によって尻拭いをせざるを得ないという状況になるわけです。

大規模化、多角化で収益性が高まるということは全く根拠がない神話
 したがって、金融機関が合併・再編などで大規模化するのを野放しにするのは、国民にとって非常に危険な政策で、新自由主義の一種のジレンマだと思います。私は、日本でも明らかにそうだと思うのですが、シティグループやJ.P.モルガンなどに代表される大規模な金融機関、GMなど巨大企業もそうだと思うのですが、ああいう超巨大な多国籍化した大企業は、どんな有能な経営者でも、人間が長期間にわたって合理的、理性的に、健全な経営ができる組織ではなくなっていると考えた方がいいと、以前から思っています。金融機関、損保でもおそらくそうだと思いますが、合併をして規模を大きくして、多角化を進めれば、経営効率、競争力が高まって、収益性が高まるというのは、経験的に全く根拠がない神話なのです。
 こんなことは不勉強な経営学者や経済学者が言っているのであって、金融再編や金融合併の歴史をきちんと学問的に分析した研究は、ほとんどすべて、別の結論を出しています。まともな実証的な研究では、企業が合併して大きくなり、金融機関が合併して大きくなれば、収益性や競争力が高まって、労働者の賃金も高くなると証明した研究を私はまだ知りません。研究者にもいろいろな立場の人がいますから、合併した方がいいという結論が出るような意図的な研究もあることはありますが、そういうものを含めても「合併した方がいい」「大きくなった方がいい」と結論付けている研究は、金融再編に関する限り、全く少数です。
 アメリカの金融の実情に通じた人は、合併して収益性や効率性が高まるのはせいぜい中規模までであって、それを超えたメガバンクが合併してさらに効率性や収益性が高まるという結論は実証的には出てこないと断言していいと思います。にもかかわらずすでに巨大な銀行がさらに合併して大きくなっていくのを野放しにして、挙句の果てに今のような問題が起きてくるのですが、これは我々がきちんと考え直さければいけない問題だと思います。

大規模化ではなく、地域や個人に目を向け、人々の暮らしを支える金融に
 あと1つだけ追加しますと、金融の分野で働いている人には申し訳ないですが、多分、日本を含めて金融産業は肥大化しすぎており、否が応でも、今後、中長期的にはやや縮小していかざるを得ないだろうと思います。働いている人間の数が縮小するかはわかりませんが、資本の規模とか、あげられる利益とか、社会全体としての付加価値にどれだけ与れるかという点からは、金融産業は縮小していかざるを得ないでしょう。
 中長期的には、金融機関は、もっと、ものづくりと市民の生活を良くするということにまじめに関心を払わない限り、将来はないと思います。ここ20年間ほどは、世界的に経済の金融化が進んで、実体経済からかい離する形で金融市場が肥大化し、金融機関の利益が増えてきました。これに伴って、金融産業で働く人がどんどん増えていくという傾向をたどってきたのですが、このような傾向はもうこれ以上持続できないことがはっきりしたわけです。
 もう1度、金融機関は否が応でも、その付加価値の源泉であるものづくりという面に目を向けていかざるを得ないでしょう。企業だけでなく、健全な住宅ローンあるいは教育ローンを含めた、人々のくらしを支える分野の金融に、どうやってきちんとしたサービスを提供していくかということを考えていかざるを得ない。
 そういう意味でも、金融機関はこれ以上大規模化するのではなくて、むしろ、付き合っている企業や地域、あるいは、営業地域の企業や個人の生活に目をむけ、地域の企業や個人との長期的取引を通じてきちんとした情報が引き出せるような規模の金融機関にとどまりながら、サービスの質を良くしていき、経営効率を高めていくということが求められていると思っています。

尾高  ありがとうございます。いま、冒頭の高田先生の金融危機の背景、原因ということから派生しながら、もたらされている国民・労働者への被害や、損保産業のあり方、あるいはこれから金融全体が目指すべき方向性というところまでお話が進んでいるかと思います。ここからは、今までの討論を踏まえつつ、この激動の中から、次の時代の展望をどう見通すことができるのかということ、その鍵は何が握り、労働者、労働組合にはどんな可能性があるのか。すでに大分お話が深められている部分もあるかと思いますが、第2討論ということで、先ほどの牛久保先生のお話も受けるということになると思いますが、牛久保先生の方からお話を頂きたいと思います。

牛久保  第一次世界大戦後、二度と世界大戦を起こさないようにしようということで国際連盟ができ、その時にILOもできました。ILOは二度と世界大戦を起こさせないために、全世界に公正な労働条件をつくらせる必要があると活動し、ノーベル平和賞をもらうのです。ですから、公正な労働条件と平和という問題は密接につながっています。

批准せずとも国際基準に強制力 新たな段階に入るILO
 ILOはそういう意味で国際労働法をつくろうというとりくみをしてきまして、ILOがつくった国際労働法を全部合わせると、普通の六法全書よりも厚い。ILO条約はいま188がすでにできあがっており、188あるILO条約は日本も参加して総会で決議したものですから、日本政府は当然批准をしなければならない義務があります。しかし、日本政府が批准している条約は48しかないのですね。25%しか批准せず、75%も無視をしているという国になっています。ですから75%という広大な空白があります。
 この状況を何とかしなければならないということで、21世紀にはいってILOは2つのとりくみをするのですが、日本のような国で、批准をしていなくてもILOに加盟をしているだけで守る義務があるということをはっきりさせようということを決めるのですね。188全部というわけにはいかないので、平等にかかわる条約、児童労働禁止の条約、強制労働禁止の条約、労働組合の団結の自由を守る条約の4つについては、ILOに加盟しているだけで強制力を持つという決議をしている。批准をしていなくても国際的な基準に強制力を持たせようという段階に、ILOは、21世紀になって踏み込もうとするということです。
 この問題について大変びっくりしたのは、野村証券の女性差別事件が解決をしたとき、スウェーデンの投資適格判定会社が野村証券を批判したことが解決に結びついたものですから、報告に行き、意見交換をした際のことです。その会社は、不公正な企業は投資不適格だと判断して世界に情報を流すのです。例えば汚職企業、その国の政府をお金で買い取るような企業は投資適格とはいえない。地雷などの戦争兵器を作る企業も投資適格と見ることができない。もうひとつは、ILOの条約をきちんと守らない企業は投資適格とは言えない。日本の野村証券は平等にかかわる条約を守らないのですから、投資不適格だという情報を全世界に流したということを言っています。私は、こういうことからも、公正な労働条件が、具体的に投資適格を判定する国際基準になってきているということをつくづく思い、そういう社会をつくろうというとりくみが始まってきているということを感じました。

全世界に普及するディーセント・ワーク−働きがいのある人間らしい仕事
 2つ目に、ILOが、ディーセント・ワーク(decent work)ということにとりくんでいることをお話しします。ディーセント・ワークというのはなかなか難しい言葉だったのですが、ILOの正式な訳語として「働きがいのある人間らしい仕事」と提起されています。歴史的にみると、「ディーセント・ライフ」という言葉があります。産業資本主義のイギリスで石炭を使って煤煙でほこりまみれになって仕事をしている労働者が、1週間にいっぺん、真白なワイシャツを着てネクタイをして家族そろって教会に行けるような生活というのをディーセント・ライフと考えて、社会保障運動を始めたというのです。ぜいたくではないけれども人間らしいこざっぱりした生活ができるような仕事、これをILOは全世界に呼び掛けているということになっています。
 ディーセント・ワークというのはいいことだけれども、「ILOは今どんなことをやっているのだ」と聞きますと、「今こそ普及にとりくんでいる」と言っていました。「世界でどうなっているのだ」と聞きましたら、「アメリカ社会は残念ながらディーセント・ワークの社会とはいえない」と言っていました。雇用を得る機会はあるかもしれないが、解雇されて雇用を失う機会も非常に大きいという、不安定な競争社会はディーセント・ワークの社会とはいえないということを言っています。

「1.5社会」めざすオランダ、福祉国家で強い経済のスウェーデン、デンマーク
 「どこがいいのか」というと、オランダとかスウェーデン、デンマークが1つの目標だということです。例えばオランダはどういうことかといいますと、「1.5社会」と言われています。オランダに行けることができ、彼らに聞きましたら、アメリカは「2.0社会」で男性も女性も同じように競争をさせられ、家庭というものを無視させられて、離婚が多く家庭崩壊ができてきている。これは「2.0社会」ということでオランダはめざさない。1.5社会をめざす。男性は1.0働いて1.0の給料をもらう。女性は0.5社会参加をしながら、0.5の賃金で家庭を守りながら経済をつくっていく。経済のパイが1.5倍に拡大した。ただ、男性が1で、女性が0.5でよいとは思っていない。男性を0.8にし、女性を0.7にもっていきたい。最終的には0.75と0.75の社会をつくっていくことが目標だということを言っていました。
 スウェーデンの社会では、最大の雇用主は政府です。福祉社会をつくっていった結果、福祉サービスに携わる労働者を政府が膨大に雇用して、最大の雇用主になってスウェーデンの経済をつくっているということを、この目でみてきました。私は、そのように家庭や地域や福祉にきちんと根差した社会をつくっていくことが、経済をつくっていくためにも大きな力になっていると感じます。なかでも、スウェーデンやデンマークは、なかでも強い経済をつくっている社会になっています。日本の社会がめざすのは、やはりこういった社会であり、アメリカの価値は全く基準にはならないということを全体に言っていく必要があるのではないか。

プラクティシング・ワーカーズがあらたな社会をつくる
 ILOは、こういう社会をつくっていくために社会対話−ソーシャル・ダイアローグ(social dialogue)を重視しています。立場が違う者が意見交換をしながら一致点を見出していくことを考えていく。そういう意味では社会対話をしていくために最も大事なものは何かというと、プラクティシング・ワーカーズ(practicing workers)という概念、現に実務に携わっている労働者が社会変革の出発点だということをILOが重視をしているのですね。やっぱり、現に実務に携わっている労働者が、問題点や社会とのかかわり方を一番よく知っている。そのプラクティシング・ワーカーズたちの代表としての労働組合と、企業は十分意見交換しながら新しい社会の在り方を考えていかなければならないということを、いまILOは提唱しています。
 これは教育用語ですが、「レリバンスのある改革」といいます。レリバンスというのは、社会的に意味のあるものとして受け入れられる改革。改革のための改革、名前だけの「構造改革」ではなくて、社会のために受け入れられるような「レリバンスある改革」は、プラクティシング・ワーカーズとの意見交換によって、はじめてつくられるという価値観を、いまILOは全世界に発信しているのです。
 そのILOが、この間、最も重視してとりくんでいるもののひとつは金融問題です。ジョン・センダノイエが、たどたどしい日本語でしゃべって私と意見交換をするんですが、突っ込んだ話をするには私の英語では不十分で、センダノイエも日本語でしゃべるんですが、突っ込んだ話になると彼の日本語力じゃ意見交換できないので、「今度は通訳をいれて意見交換をしよう」と別れたのですが、彼が携わる金融分野で、ILOは一貫して金融と労働の問題を重視し、金融機関の規制をするための監視委員会を作ろうということを呼びかけて続けています。

金融問題での監視委員会機能をつくる動き カギを握る労働組合
 私が今とりくんでいる学校の先生の教員問題については、1966年の段階で「教員の地位に関する勧告」という世界的なスタンダード基準ができ、基準ができたうえで、ILOとユネスコが共同で監視委員会をつくりました。その監視委員会に全世界の労働組合から申立権が認められ、調査をして、ILOとユネスコが是正勧告を出すという制度ができ上がりました。さらに今回、日本の教育行政が間違っているということで、日本に調査団を派遣して、東京と大阪と高松に入って、教育行政がいかに歪んでいるかという報告書を発表したという経過があります。
 このような監視委員会の機構を金融問題でつくろうとしています。その動きを強め、実効性あるものにするには、労働運動が本当に大きなカギを握っています。ILOは政府と労働者と使用者の三者で構成される委員会で―労働者の代表が正式な政府代表として位置付けられている―、労働者の代表者はILOの活動の推進機関、使用者の代表は後からついていく機関、政府はその間に入って中立の機関ということが言われているのですが、このような国際的な活動を前進させていくためにも、全世界の労働運動がもう一回いろんな問題意識を共有しながらとりくんでいかないと、進んでいかないのではないかと思っている次第です。また全損保の役員には申し上げたいと思いますが、ぜひみなさんの協同をお願いして問題提起にさせていただきます。





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